知っている人は知っている、誰も知らないお金の使い方!
どーも!ちゃありぃです(^^)
今日は2年くらい前からずっと見たかった映画を見ました。
ツタヤデビューです笑
借りた映画のタイトルは「空気人形」です。
もともとただの空気人形だったものが心を持って街に出かける物語です。
生きている意味について考えさせられました。
あまり有名ではありませんが、名作だと思います。
ツタヤに行けば100円で借りられるので気が向いたら是非٩(ˊᗜˋ*)و
さて、今回は映画を絶賛する記事、、、
ではなくて、お金の使い方についてです( *¯ ꒳¯*)
みなさんは普段、何にお金を使っていますか?
僕がお金を使った用途は
- ツタヤのDVDレンタル
- 朝の缶コーヒー(必須!)
- 電車の定期券
- 晩御飯
- 本
- 整骨院
といった感じでしょうか。
さて、もし仮に「これらを3つに分類してください。」と言われたらあなたはどんな基準で3つに分けますか?
僕は普段使うお金について帳簿をつけています。
日にち、何に使ったか、いくら使ったか、残高。
このくらいは普通の方でも書いてるかもしれませんね。
僕はこれに加えてもう1つ書き加えているものがあります。
それが、3つの分類です。
お金の使い方は3つに分類できると考えています。その3つの分類とは、
- 浪費
- 消費
- 投資
です。
浪費は何も考えずに入らないものを買うこと。
消費は普通に生活するために必要なもの。
投資は将来何らかの形で自分に還元されるものです。
浪費と消費はわかりやすいですね。
投資は例えば株式投資がそうです。
1000円で株を買ったら将来2000円になって戻ってくる可能性があります。
お金ではなくても、本を買ってその本から得られた知識が何かの役に立ったらそれも投資と言っていいでしょう。
僕はお金を使うときこの3つの分類を意識しています。
例え、同じ本を読んだとしても投資意識を持っているか否かで価値が変わるからです。
先ほど挙げた僕のお金の使用用途も人によっては浪費だったり消費に見えるかもしれませんね。
しかし、そう見えるものでも僕にとっては投資感覚で買っているものがあります。
「空気人形」の映画は、とある評論文で紹介されていて、そこから何か学べそうだと思ったからレンタルしました。
これは知識や知恵になるので投資です。
朝のコーヒーも、それによって1日の生産性が変わってくると考えているので投資です。
電車で学校に行って何か学ぶという意味では定期券も投資ですね。
晩御飯は消費ですが、普段喋らない人と行って仲良くなることで、将来何か面白いことができるようになるかもしれない、と考えると投資です。
本は知識のための投資、整骨院は生産性アップのための投資です。
浪費を減らして投資を増やすことが何かいい結果に繋がると思います。
みなさんもお金の使い方について是非一度考えて見てくださいね!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
死ぬ間際にやりたいことは何か?
どーも!ちゃありぃです(^^)
今日は学校でレポート課題がいっぱい出ました。1週間が長いです(⌒-⌒; )
まぁ、1週間なら終わりが見えてますが、一生と言われたらどうですか?
一生って人によって違いますよね。40年かもしれないし、100年かもしれません。
しかもその終わりは直前までわかりませんね。
1週間を何回過ごしても人生が終わるかわかりません。
そう考えると人生ってとてつもなく長く感じられますね。
人生で何をしたいですか?って聞かれてもいまいちピンときません。
なぜなら人生ってどのくらいの時間かよくわからないし、終わりが見えないからです。
じゃあ、こう聞いてみましょう。
もしも自分があと3日で死んでしまうとしたら、残り3日は何をしたいですか?
すぐに答えが出る人がいるかもしれないし、考え込んでもわからない人もいると思います。
でも、これは一度は考えておきたい質問です。
なぜならこれを考えておかないと死ぬときに後悔しそうじゃないですか?
人生でやりたいことというとスケールがでかすぎますが、3日間でやりたいことというと考えやすいですよね!
とはいえ、3日といってもそんなに長いわけじゃないです。
できることは時間的にある程度限られていますね。
多分、世界一周とか長編の小説を読みきることとかは難しいです。
ちょっと考えてみてください。
…
……
………
やりたいことが思い浮かびましたか?
僕は3つのやりたいことが見つかりました。
- 応援したい人を全力で応援すること
- 自分の人生を書籍などにまとめること
- 美味しいものを食べること
この3つです。
見つかりましたが、これは死ぬ直前の3日が来るまで取っておくべきものでしょうか?
いや、そんなはずはありませんね。
死ぬのが50年後になるかもしれないし、明日になるかもしれませんが、いつ死ぬかなんて余命宣告をされた時でさえよくわかりません。
さっき考えたやりたいことをいつやるんですか?
今でしょ??(古い…)
死ぬ前にやりたいことを意識してやるようにしていると毎日の満足感が上がると思います。
そして仮に、いざ死ぬことになったとしても、やり残したことがない状態になると思います。
僕はやりたいことを意識しています。
このブログもある意味では、さっきあげた2番目の理由の「自分の人生を書籍などにまとめること」の一環として始めました。
「応援したい人を全力で応援すること」がやりたいと思うようになってから、応援したい人のクラウドファンディングに協力しました。
「美味しいものを食べること」はまだ人生は長いと思っているので、健康に害のない範囲内で実行中です。
そして、この3つのことに満足できるようになったら、またやりたいことを探せばいいと思っています。
老後のためにやりたいことを残しておく、という人もいるかもしれませんが、それをやりきるだけの体力がなくなっているかもしれませんし、そもそもやりたいことが変わるかもしれません。
やりたいことはできるだけ早くやること。
これが人生を後悔せずに生きる方法だと思います。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
リーダーは誰だ? 〜今日を意味ある1日にするために〜
どーも!ちゃありぃです(^^)
僕は2年前の冬に大学でサークルを立ち上げて、現在サークル長という形で活動しています。
旅とカフェが好きなので、それを合わせて旅とかカフェに行くのサークルです。
でもやってることといえばサークルのツイッターを動かしたり、入会希望者への対応くらいです。
運営に関することは他のメンバーに任せてます笑
これでサークルのリーダーと言えるのでしょうか?
今回は僕なりにリーダーというものについて考えてみました。
リーダーには2種類ある
そもそもリーダーとは、集団とか団体とかをリード(lead)する人のことです。
つまり、みんなを引っ張っていく人ですね。
そしてこの引っ張っていく人には2種類あると思っています。
ひとつは一般的な認識通り、周りからリーダーと呼ばれて、集団や団体の上に立っている人のことです。
会社なら社長だし、学校なら校長先生だし、家族なら父親か母親の場合が多いでしょう。
そして、もうひとつのリーダーは、リーダーとは呼ばれていなくても集団や団体の中で欠かせない人のことです。
これはリーダーに限らない何かしらの役職を持っている人のことというわけではありません。
むしろ、リーダーと呼ばれる人でもこの意味でリーダーとは言えない人さえいると思います。
どういうことか説明していきますね。
まず、リーダーという肩書きを持っていなくても、集団を引っ張っている人はいます。
多くの場合、会社では社長だけではなく、部長や課長、一般の社員など、いろんな人がいますね。
このそれぞれの人が自分の役割を全うすることで会社が存続します。
しかし、だからと言って全員がリーダーというわけではありません。
なぜなら、全体としてはプラスになっていても、部分的にみたらマイナスの部分があるからです。
〇〇という社員はあまり会社に貢献できていないかもしれませんね。
この人はリーダーとは言えないでしょう。
ただ、その人だけを見たら会社に利益をもたらしていなくても、その人がいることによって職場の雰囲気が和み、他の人の業績が良くなるというような場合もあります。
この場合、その人は雰囲気を和ませるという意味でリーダーです。
会社ではなくて家庭という集団でも同じです。
小学生の子どもがその家庭という集団にいることによって、家族の結束が強くなり、幸せな生活が送れるとしたら、その子は家庭という集団の中でリーダーです。
リーダーとは、周りに良い影響を与えて集団を良くする人のことです。
良い集団というのは、そこに属している全員がリーダーで、お互いに高め合いながら集団の目標を達成できる集団だと思います。
目標というのは、会社の場合は利益でしょうし、家庭の場合は幸せな毎日かもしれません。
今日からリーダーになることは可能です。
周りのことを考えて良い影響を与えようと行動することです。
僕は作ったサークルの中でリーダーたるべく行動したいと考えています。
たった今、この瞬間からあなたもリーダーになってみませんか?
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
海外移住ってぶっちゃけどーなの?!
どーも!ちゃありぃです(^^)
今日は大学で風洞実験というやつをやりました。
風洞実験っていうのは、簡単にいうと飛行機の翼の模型に向かって空気を流してみて、翼に働く力を測る実験です。
航空機を専攻しているのでこんな感じの実験が必修科目なんですね。
航空機といえば、僕は海外に行くのが好きです。
飛行機に何時間か乗っていたら日本とは全く違う土地にたどり着く。
そして、いつからかそんな海外で暮らしてみたいと思うようになりました。
今や移住先として人気ナンバーワンの国はマレーシアです。
理由は親日国だったり、ビザが安かったり、いい学校があったり、生活費が安かったり、大きな災害がなかったりするわけですが、僕はマレーシアに限らず、海外で暮らしてみたいと思うようになりました。
海外で暮らせば生活環境が大きく変わります。その中で初めて気付くことやそこでしかできないことがあると思うのです。
僕は一年半ほど前にマレーシアに行きました。
海外移住に興味があったので、マレーシアの不動産を内覧したりマレーシアに移住した人に話を聞いたりしながら、1ヶ月ほどマレーシアに滞在しました。
1ヶ月なんて、その国を知るにはあまりにも短い期間ですが、僕は単純に海外生活が気に入りました。
では、海外で暮らすという選択は本当に新たな気づきや成長などに繋がるのでしょうか?
答えはおそらくイエスでしょう。
しかし、海外だからというだけの理由に期待しすぎるのもよくないと思うようになりました。
日本でできる気づきや成長はまだまだたくさんあります。とてもこなしきれる量ではありません。
それを置いといて海外に行くというのはある意味では逃げのように思いますし、承認欲求を満たしたいだけなのかもしれません。
マレーシアでみた不動産や聞いた話、街の様子やマレーシアという国についての情報、ビザのとり方など。
僕はこれらの情報を集めてマレーシア移住レポートを書いたのですが、結局このレポートは自己満足に終わりそうです。
将来何をしたらいいかわからない、今の自分に必要なことがわからない…そんな状況で海外を志向するのはただの逃げか希望的観測だと思うようになりました。
僕は今ここにいる僕に正面から向き合って、今必要なことと真剣に向き合うことが大切だと思います。
自分がやっていることがわからなくなった時、ここではないどこかや今はまだ知らない誰かに期待してしまうことがあると思います。
しかし、そんなものに期待しても何にもなりません。
今いるこの世界が、急に変わる展開なんて滅多にないでしょう。
だからこそこの世界と正面から向き合って考えることが必要だと思います。
まだ見えていないだけで、やるべきことは身の回りにたくさんありますからね。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
問題はどこにあるのかという問題
どーも!ちゃありぃです(^^)
今日は定期券を買うために2時間ほど列に並びました。
乗り換えがあるのでもう一枚定期券を買わないといけないんですけどね。
次はどのくらい並ぶだろうか…(^^;;
この時期になると急にみんなが定期券を買うようになるから普段通りの窓口数では長蛇の列ができて当然ですね。
列に並んでいる人は各々適当なことをして待っています。スマホでゲームをしたり、音楽を聞いたり、本を読んだり、ただただ立っているだけだったり…
この待ち時間が無駄だと思うかどうかはその人次第ですよね。
しかし、それでも並ぶ時間は短い方がいい。並んでいるというだけで行動が制限されるわけですから。
世界を良くするために一番大切だと思うことは何ですか?
この問いに決まった答えというものはないでしょうが、僕は問いを持つことだと思います。
たくさんの人が世界を良くするための活動をしていても、おそらく限界はあるでしょう。
戦争がなくなるかもしれないし、性的少数者が堂々と胸を張って生きられるようになるかもしれないですね。
しかし、それが達成されたらそれ以上はあるでしょうか?
達成して世界が良くなった。だからもう何もしなくてもいい、ということにはなりませんか?
問いを持つということは、満ち足りたと思える世界でまだ解決されていない問題を探すということです。
日本は昔に比べたらおそらくかなり便利になったでしょう。
それでもよく観察してみると、定期券を買うために2時間も並ばないといけないという問題があるわけですね。
この問題をどうしたら解決できるだろうか、というのが問いです。
この問いを持つことによって、やっと解決の可能性が出てくるわけです。
誰も定期券を買うのにかかる時間を短縮するのにどうしたらいいかと考えなければ、偶然すぐ買えるようになることはありません。
問いを持つことによって問題が解決される可能性が生まれ、世界が良くなるのです。
どうしたら定期券を買うのに時間がかからなくなるか。
単純に窓口の数を増やすのもひとつです。ネット上で購入して家に届く形にするのもありです。そもそも定期券というものをなくしてスマホとかで一元管理することもできるかもしれません。
そして、そのようなアイデアが湧いてきたら、さらにそのアイデアを実現するために問いを探すのです。
どうやったら実現できるのか。
実現できたら生じるであろう問題はないか。
それによって本当に今ある問題が解決するのか…
といった具合ですね。
常に考えることで世界は良くなります。
それはすなわち人生が良くなるということでもあると思います。
ここにある問題は何か?
そんな問題意識を持って明日からも生きていきたいです(^^)
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
渾身の言い訳です
どーも!ちゃありぃです(^^)
今日は日曜日ですね。
大阪城公園でお花見をして、夜は超絶美味しいラーメンを食べた後映画を見て…
…
そして明日から大学の授業が始まります(^^;;
大学卒業はしておきたいけど、別に好きなことを勉強できてるわけじゃないから辛いといえば辛いです。
頑張って耐えてますが、すぐに役立つことでもないし、この時間をもっと別のことで有効に使えるのでは?と疑問を持ってしまいます。
機会損失、というやつですね。
ま、こんなことを考えながらも大学卒業はしておきたいので頑張るのですが…笑
やりたいことができていないのは大学のせい…
大学の勉強が役に立たないのは進路選択で失敗したせい…
など、言い訳はいくらでも作れます。
でも言い訳というものはたいていの場合、信頼問題に関わったり、幼稚に見えたり、面倒くさく思えますね。
言い訳が悪いとは言いません。
しかし、言い訳がよく機能する場合は少ないと思っています。
意識してみると、日常のふとしたことで言い訳を言ってしまっていることがあります。
そんな言い訳についてもうちょっとだけ考えてみましょう!
そもそも言い訳というものは、自分の主張を正したり強調するときに使います。
そして言い訳を使う多くの場合、自分の主張はネガティブ思考です。
自分が成功できないのは〇〇のせいだ!
失敗したのは〇〇だったからだ!
という感じですね。
何ということはないのですが、ネガティブな主張をしていると、思考もネガティブになり、身の回りにネガティブなことが増えてしまいます。
だから、そのような状況を避けるためにもネガティブな発言は控えましょう。
そのための簡単な方法として、言い訳をしないことです。
いや、言い訳が必要な場合もあるじゃないか!という反論もありそうですね。
確かにそうです。
しかし、言い訳はなん度も繰り返してするものではありません。多くても一回言い訳をして状況が変わらなかったらもう言い訳はしないべきだと思います。
なぜ一回はしてもいいのか。
それは、その言い訳が正論でかつポジティブに働く場合があるからです。
ちゃんとした言い訳というものは論理的に考えられているべきで、そのような言い訳は誰にでも認められ、かつ使うことによって状況が好転します。
だからそのような言い訳があるのなら使えばいいということです。
論理的な言い訳なら一回言えば納得されます。
逆に、一度言って納得されなければもっと考える余地があったということですね。
さてと、前置きはこの辺にしておいて、今日は重要なお知らせがあります。
僕は明日から大学の授業やレポートなどで今までよりちょっとだけ忙しくなります。
だから、ブログの更新がちょっとだけ鈍くなるかもしれません。
3月1日から今日まで毎日欠かさずブログを更新してきました。
今日で40記事書いたことになります。
でも、明日からは毎日更新するとは限りませんのでご容赦ください。
以上、渾身の言い訳でした!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
お金とココロと幸せと
どーも!ちゃありぃです(^^)
ヤフーニュースを見ているとすごい記事を見つけました。
ゴミの中から大金が見つかったそうです!
…
…こんなことってあるんですね(⌒-⌒; )
ところで皆さんは大金が手に入ったらどうしますか??
海外旅行に行く、車を買う、食べたいものを好きなだけ食べる、家を買う…
いろんな答えが返ってきそうですね。
しかし、お金というものは使い方を間違えると後悔してもしきれないことに発展する可能性があります。
お金との付き合い方について一度は考えておく必要がありそうですね。
今回はお金との付き合い方についてです(^^)
もし、道に一円玉が落ちていたらどうしますか?
もし、道に百円玉が落ちていたら?
一万円なら?
先日「教えて!goo」でお金に関する投稿をしたら予想以上の回答がありました。
落ちてるお金を交番に届けるか否か、財布なら当然届けますが、裸のお金ならどうするのか?
その額によっても届けるかどうかは違うかもしれませんね。
一昔前まで、僕は小銭なら拾う、紙幣なら交番に届ける、というようにしていました。
しかし、最近はお金を拾って自分のものにすることにある種の罪悪感を覚えて、一円でも見て見ぬ振りをすることにしています。
もちろん大金や財布なら交番に届けます。
結局、お金と付き合うには心の在り方 が大切だと思うのです。
道に落ちているお金を拾って自分のものにしたとしても、その時はプラスになるかもしれませんが、後々マイナスになると思っています。
お金という、そのものには価値がないものに振り回されて、心のどこかに罪悪感を持ちながら生きていくのはお金に左右される人生です。
目先の損得勘定ではなく堂々と生きていく方が、ただ単にお金だけで生きていくより幸せだと思います。
お金はなくていいとは言いません。
寧ろ、多ければ多いほどいいように思っています。
しかし、そのお金も真っ当なココロで得たものでないと意味がありません。
お金持ちになったとしても、健全なココロでなければすぐにお金はなくなります。
たとえずっとお金持ちでいられたとしても、幸せにはなれないでしょう。
お金は信用を形にしたものだと言います。
お金ではなく健全なココロで大きく生きたいと思います。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!