大学卒業に意味はあるのか考えながらも大学生
どーも!ちゃありぃです(^^)
4月になって中学や高校に入学した方もいますね。
僕は春から(も)大学3年生です(^^)
ところでみなさんは学校に行く意味って考えたことありますか?
僕は学校に行く意味を考えすぎて高校の時は謹慎処分を喰らい、大学では1年留年しました。
つまり、学校に行く意味がないように感じて真面目に学校に行ったり授業を受けたりできなかったわけです。
それでも今はちゃんと大学に通っています。
来週から始まる授業も真面目に受けるつもりでいます。
学校に行く意味って何なのでしょうか?
今回は学校に行く意味についてちょこっとだけ考えてみました。
1.肩書きについて
まず、ある程度有名な大学を卒業したら〇〇大学卒業という肩書きが得られます。
いい企業に就職する上で有利そうですよね。
社会人経験のない新卒採用の場合、その人の能力を見ても大差はないはずです。
そこで判断材料になるのが学生時代の経験やその人の性質などになります。
そして、いい大学に入るにはある程度の努力が必要だという点で、大学卒業という肩書きは有利に働くかもしれません。
しかし、大学卒業という肩書きだけで判断するというのは愚直な行為です。
少なくとも日本においては大学卒業はそこまで難しいことだとされていません。
卒業という肩書きより、経験や特性の方が先行するのは当然でしょう。
表面上の肩書きだけを見るのではなく、内面を見て判断したいというのは当然の考えのように思います。
肩書きにこだわるのではなく、中身を磨く努力をしたいものです。
中卒でも大企業の社長になることは十分あり得ますから。
2.機会損失について
機会損失(チャンス・ロス)というのは経済学の用語です。
例えば時給1000円のバイトをしていて、単純に1時間で1000円稼いだ、というのではなく、その1時間を別の仕事に充てていたら2000円稼いでいたかもしれない、と考える。
そうすると逆に1000円の損失だと考えることができます。
これが機会損失です。
大学でも同じことが言えます。
大学の4年間で技術を身につけ、社会人になってから稼ぎが良くなるかもしれませんが、案外大学を卒業してから働くのと大学に行かずに4年間分多く働くのとでは、生涯年収に驚くほどの差はできません。
大学生は4年間働いて得られていたであろう収入を損失しているのです。
これは何も収入に限った話ではなく、4年間で身につけられていたであろう技能を身につけずに大学に在籍するということになります。
ただただ肩書きのために大学に行っていると、プラマイ0ではなく、むしろ収入面でも、生活面でも、いろいろな面でマイナスなのです。
結論
肩書きはあれば有利だが、肩書きのための努力は寧ろ機会を損失することになりマイナスです。
大学に行くのなら、肩書き以上に何らかの技能を身につけたり、人脈を広げたりといった目的意識を持つことが大切だと思います。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!