後付けの理由をモチベにする
どーも!ちゃありぃです(^^)
最近人生とは何ぞや?ってことを考えたりしてます。
僕は基本的に考えることが好きみたいです(^^)
みなさんは人生って何だと思いますか?
それとも何のために生きてますか?と聞いた方が答えやすいでしょうか。
基本的にみんないい人生を送りたいし、幸せになりたいと思っているでしょう。
じゃあ、いい人生を送って幸せになるために生まれてきたのでしょうか?
いや、当然ですが、人間は生まれる前に人生で〇〇をしたいから生まれよう!なんて考えてませんね。
気づいたら生まれていて、自分がいて、どうしてかわからないけど生きているから人生の目的を考えてみたりする…
そんなところではないでしょうか?
人類は〇〇のために生きている!とか、私は〇〇のために生まれてきた!なんて言う人もいますが、それらは全て後付けの理由にすぎません。
もしかしたら親が子どもが欲しいからといってあなたが生まれたのかもしれませんが、それはあなたが生まれた主体的な理由としては弱いですね。
今回は後付けの理由について話していきます。
まず、これを考えるには物凄く哲学的な話になることを覚悟する必要があります。
どんな理由も突き詰めていくと理由じゃなくなるからです。
人類が生まれてきたのも地球にとってはどうでもいい話かもしれないし、そもそもこの宇宙が存在する理由もどんな科学でも説明できません。
なぜかわからないけどたまたま存在している。
そんなものです。
こんな大きな話は考えたい人が勝手に考えてくれればいいですが、もっと身近な話ならどうでしょう?
あなたが働く理由は何ですか?
お金が欲しいからですか?
もしそうならなぜお金が欲しいのですか?
生きるためですか?
なぜ生きるのですか?
…
別にあなたの存在を否定するわけじゃないですが、あなたが生きていることを説明する絶対的な理由なんて存在しないのかもしれません。
じゃあ、僕が大学に通う理由はというと、そんなもの大学に入ろうと思った頃とは変わっています。
それでも今も学校に通っています。
なぜでしょうか?
絶対に学校に行かないといけない理由なんてありませんが、とりあえず行っています。
そして、それを正当化するために学歴のためとか、賢く生きるためとか、適当に理由をつけてそれに納得しています。
別に理由なんて絶対的なものである必要はないと思います。
どんな理由も結局は理由として成り立たなくなりますから…
このブログを更新している意味もないかもしれません。
それでも毎日自分なりに理由をつけて書いています。
どんなことでも理由を明確にして取り組むべきだという人がいるかもしれませんが、もしかしたら理由なんて後付けで考えたものでよくて、本当に大切なのはそれをやりきることなのかもしれませんね…
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!