「当たり前」に疑問を投げかけること

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

今日は雨が降っています。

皆さんは雨が降ったら傘をさしますか??

 

当然!と言う声が聞こえてきそうですね。

でも、すぐに止みそうな雨だったら?

もしくは小雨だったら?

すぐに目的地に着くときは?

 

僕は常に折りたたみの傘を持ち歩いていますが、かなり雨が降らないと傘をさしません。

別に濡れるのが好きなわけじゃなくて、傘を開いたり、濡れたら干したり、畳んだりするのが面倒だからです。

 

雨が降ったら傘をさす。

 

これは当たり前だと思われていますが、本当にそうでしょうか?

 

 

 

最近、哲学の本を読みました。

 

その本では「自分とは何か」「生きるとは何か」といった普段当然とされていることにツッコミを入れて深く考えていました。

 

哲学というものは何も堅苦しい学問ではなく、当たり前のことを当たり前とは考えないことじゃないかと思います。

 

 

 

さて、少し話が逸れましたが、雨が降ったら傘をさすということは当然のことでしょうか?

 

大抵の人は当然だと思うでしょう。

しかし、どうして雨が降ったら傘をさすんだろう?と当たり前のことに疑問を投げかけてみてください。

 

もしも、傘というものがない世界があったらどうでしょう?

 

雨が降ったら防水スプレーを全身に振りかける、というのはどうでしょう?

もしくは、静電気とかで自分の上に降ってきた雨を弾き返す装置ができたらどうでしょう?

 

もしもそんなものがあれば、傘を開いたり干したり畳んだりする手間がなくなりますよね!

そして、傘を持っている間は片手しか使えなかったのに、このような発明で両手が使えるようになるかもしれません。

 

僕は哲学は実学だと考えています。

 

人生とは何か、死ぬとはどういうことか。

そんなことを考えることだけが哲学じゃなくて、科学や歴史などの当然とされたことに疑問を持つということが哲学なのではないでしょうか?

 

もしそうだとしたら、哲学によって新しい発明品が生まれ、これまで信じ込まれてきた間違いが正されるとは思いませんか?

 

 

 

当たり前っていうものはこれまで生きてきた人によって作られてきたものです。

当たり前ですが、神様が作ったわけじゃありません。当然、間違いもあります。

 

この、当然とされているものを無意識に信じ込むのではなく、意識できるか。

これが実は頭の良さであったり、センスであったり、才能と呼ばれるものであったりするのかもしれませんね。

 

あなたが信じ込んでいる「当たり前」は何ですか?

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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