自分のことを知るのはいいが、完全にわかってしまうのも面白くない

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

インターンの面接を受けてみて、自己分析の大切さが身にしみてわかりました。

自分のことをよくわかっていないとどんなことでもいい選択はできません。

 

極端な例ですが、外食をするときに自分が中華が好きだということがわかっていないと、和食の店に行ってしまい満足できなかったりしますよね。

 

自分が文章を書くのが苦手だし好きでもないというのに、ライターの仕事を選んでしまったら好きでもなく得意でもないことを毎日することになり苦痛ですね。

 

こんな単純な話ではありませんが、自己認識はものすごく大切です。

 

一般的に就活は段階的なものだと考えられています。

簡単に言うと、まず自己分析をして、業界分析、企業分析と進み、最後に面接をするといった流れですね。

 

しかし、これは段階的なものではなく、特に自己分析は常にやっておく必要があると思っています。

 

何も自己分析ツールとか自分診断とか、そういったものをやりますると言う話ではなく、自分のこれまでの行動を見返してみて、どうしてそんな行動をとったのかなどと自問を繰り返すと言うことです。

 

 

 

さて、自己認識は大切だとひたすら強調してきましたが、もし仮に自分のことを完全に理解できるとしたら、あなたはそれを望みますか?

 

完全に理解というのは、仮に想定したシチュエーションで自分が取る行動を正確に予測できるということてす。

 

僕はそこまでは望みません。

 

自分の行動を完全に理解できていたら、恐らく自分に一番向いてる職業に就くこともできるだろうし、一番やりたいことに向かってまっすぐ進めるでしょう。

そして、一番成功に近い人というのは一番自己認識ができている人だと言い切ってもいいでしょう。

 

しかし、僕はそれほどの自己認識は成功には繋がっても幸せにはなれないような気がしてしまいます。

 

自分のすべてのことが理解できるということは、自分のことを客観的に見れるようになるということです。

福田元総理じゃありませんが、自分のことを完全に客観的に見るということは、自分のことを他人として見るということです。

 

僕は自分では何もせず、他人の行動をモニターし続けるような人生に面白みは感じません。

もし自分を完全に理解してしまうと自分が他人みたいに感じてしまうのではないかと危惧しているわけです。

 

まあ、そうは言っても自分のことを完全に理解するなんて到底人間には難しいことでしょう。

こんな議論は何の意味もないかと思います。

 

自己認識を深めていく方針は全然変わりません。

知ることは大切、でも知りすぎてはいけない。

そんなバランスが取れてるといい、と言ったところでしょうか?(^^;;

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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