思考するために
どーも!ちゃありぃです(^^)
毎日毎日ブログを書いてかれこれ3ヶ月弱…
長いようで短いですが、日常的に考えて書くということをしてきました。
ふと思いました。
考えるってどういうことだろうかと。
考えるってすごく不思議な行為だと感じてきました。
考えるということを考えるとき、何を考えてるんだろうか?
考えるってことは、それ以上説明のつかない行為なのではないか?
考えるってどういうことでしょうか?
頭を動かして、何か新しいことを生み出したり思い浮かべることでしょうか?
「思う」ことが考えることなのでしょうか?
論理的に知識を組み立てることでしょうか?
じゃあ論理的ってどういうことでしょうか?
毎日やっていることなのに、いざそれが何かと問われると疑問に思います。
じゃあ逆に、考えないってどういう状態でしょうか?
口をポカンと開けて何もしていない状態でしょうか?
眠っている状態でしょうか?
単調な作業を繰り返しているときは何も考えていないのでしょうか?
考えることと考えないことの区切りはどこにあるのでしょうか?
日々繰り返される、この考えるという行為を意味あるものにするために、今回は思考のために必要なことについて考えていきます。
その考えるという行為さえ曖昧なのですが…(^^;;
まず、考えるために必要なものといえば、「脳」でしょう。
脳がなければ人は何もできませんね。
そして、その脳が何らかの働きをすることが考えることと考えていいでしょう。
そして、脳を動かすために必要なものは何か。
今回は生物学的な話は傍に置いときます。
まず、考える素材としての知識、事実、材料が必要ですね。
数学なんでも、数学を考えてと言われるより、三角形を考えてと言われた方がイメージしやすいし、三角形を考えてと言われるより、三角形の角度と辺の長さについて考えてと言われた方が考えやすいですね。
いくら頭がよく回っても、考える材料がなかったら考えられません。
ちょうど機械に材料を入れて製品を作るのと似ていますね。
そして、その機械というのが頭でしょう。
いい製品を作るためにはいい機会が必要です。
与えられた材料をいかにして加工するのか。この工程が考えるということではないでしょうか?
いい材料(知識)を機械(脳)に入れて考える。この工程が「考える」と呼ばれるのです。
考えて考えて、何かいいものを生み出すためには、頭の良さだけでなくて、どんな知識を得るかも大切ということですね。
いまいちピンとこないような気もしますが、これからも毎日考えていきましょう。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!