国際交流って何だ? 英語? 異文化理解?

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

先日大学の国際交流サークルのパーティーに行ってきました。

 

フランス人、ドイツ人、中国人…

いろんな国の人がいました。とはいっても留学生がほとんどなので大体の人は日本語が喋れます。

 

そのパーティの中ではグループを作って異文化理解のための質問セッションがありました。

 

日本のいいと思うところは?

あなたの国のいいところは?

 

外国の人と喋るのは楽しいといえば楽しいですが、果たしてそれって国際交流と言えるのでしょうか?

 

ヨーロッパやアメリカなんかではいろんな国出身の人が行き交っています。

そんな国の人がわざわざ国際交流ということをするでしょうか?

 

日本は島国だから外国人というものを特別視している。という意見は正しいのかどうかわかりませんが、日本人は外国人に限らず自分とは違うものに対して敏感すぎる気もします。

 

「国際交流」という言葉には海外だから違う、違うから楽しいというようなニュアンスが含まれてると思います。

 

でも、別に海外じゃなくても違いはあるのではないでしょうか?

 

形式張った質問タイムで相手を理解するのではなく、自然な形で理解し合うのが本来の形だと思います。

 

違うからという理由で区別化して国際交流と銘打って交流しても何も生まれないように思います。

 

自然な形の交流が本来の形です。

 

国際交流という文化を作り出し、何の疑いもなく容認している私たちは日本人同士の交流についてはどう考えているでしょうか?

 

違うものは違うと目に見える形で区別化しているからこそ、我々日本人の間には大きな違いがないと思ってしまっているところがあるように思います。

 

つまり、日本人同士で話しているときは自分と相手との間に大きな違いはない。

だからこそ自分の常識は相手にとっても常識で、普通に過ごすことが美徳とされます。

 

空気を読むことが必須の能力とされ、みんな同じであることがいいという風潮があります。

 

国際交流は敢えて国際交流と銘打つことはせずに行うのがいい。最近はそう思うようになりました。

 

国際交流パーティではなく、ただそこに誰かいるから話す。そしたらたまたま海外の人だった…くらいになればいいのでは?

 

日本人でも違うことを前提に対応する。

相手の違いを容認する。

 

国際交流に頼らないで違うことを認めることができれば、私たちのコミュニケーションはもっと上手く回るようになると思います。

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

 

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熱中しているものは何ですか?

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

気がついたら昨日でブログ始めて50日でした!毎日書いているので50記事書いたことになります。

 

いつも読んでくれている方、ありがとうございます(^^)

 

最近は毎日ブログを書くことが習慣になってきています。

 

毎日やること、やりたいことがあるって幸せです( * ˊᵕˋ )

 

 

 

さてさて、あなたは今、夢中になって取り組んでいること、熱中していることはありますか?

 

僕はいつもブログを30分くらいで書き上げてますので熱中しているとはいえませんが、時間がたつのも忘れて取り組んでいることはありますか?

 

仕事だったり、勉強だったり、遊びだったり、趣味だったり、恋愛だったり…

いろいろありますよね。

 

でも、どんなことでも夢中になる経験は大切だと思います。

 

僕はこれまで、工作、お絵描き、シミュレーションゲーム、勉強、旅、副業といったものを夢中にやった経験があります。

 

たとえ成果が出なくても、夢中になるという経験は大切です。

 

夢中になるということは、少なくともその時はそのことに価値を感じているわけです。

好きなことであるわけです。

 

その本質的な部分を考えることで自分がどういった人なのかがよく理解できます。

 

「本質的な」というのは「抽象的な」と言い換えてもいいかもしれません。

 

ハンドボールに打ち込んだ経験から、自分は体を動かすことが好きだとわかるかもしれません。

勉強に夢中になった経験から、自分は新しい知識が好きだと理解できるかもしれません。

 

なにせ、過去夢中になった経験を掘り起こしてみて、それについてよく考えてみるのです。

 

どんな気持ちでそれをやっていたのか、どうして夢中になったのか。

そういった質問を自分にすることで、自分が幸せに生きるためのヒントが見えてきます。

 

今日僕は大学の先輩と食事に行きました。

その先輩も工学部です。

どうして工学部にしたのかと聞いたら、物理が好きでそれを活かして価値のあることをしたい、というようなことを言っていました。

 

なるほど、それなら確かに工学部に入って正解です。

 

人生には様々な選択があります。

そのいかなる質問も自分がどう生きるかということに少なからず影響すると思います。

それじゃあ、自分のことをよく理解できていない人が何かを選択したら、その選択は自分のためになりますか?

 

答えは明白ですね。

 

どんな選択をするにしても、自分の関心がどこにあって、何が得意で、どんなことに価値を感じているのか、それをちゃんと理解できていないといい選択はできないと思います。

 

あなたは自分のことをちゃんとわかっていますか?

もしわかっていないのなら、何かに夢中になった経験を深掘りしていくのもひとつの手かもしれません。

 

あなたが夢中になったことは何ですか?

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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教育の問題点を思うがままに書いてみた

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

今日は大学の講義で面白い人の話を聞けました。

 

大学の卒業生によるキャリアに関するオムニバス形式の講義なのですが、キャリアの考え方を実践的なレベルまで落として話してくれました。

こんな先生が増えればいいなと思いますね。

 

 

 

今回は教育の問題点についてです。

 

僕は工学部の機械系、特に航空宇宙工学専攻なのですが、将来そういった系統の仕事に就きたいという想いはありません(^^;;

 

むしろ、教育に携わりたいと考えています。

 

高校のときは授業のレベルが低すぎるし、教師の質も低いしで割と暴れました。謹慎を喰らったのも今ではいいネタ話です笑

 

そして、高校生の頃はよく思いました。

 

いい大学に行ったらいい教育が受けられるはず!そのために高校なんかに頼らず自分で勉強しよう!!

 

はっきり言って、将来が不安でした。

今でも不安はありますが、高校生というと社会に対する知識もゼロと言っていいほどですからね。僕の通っていた高校はバイトすら禁止でしたから。

社会人の方からすれば大学生も大概知識ゼロなんて言われそうですが…(^^;;

 

しかも、僕の世代は完全なゆとり世代です。

 

このまま行ったらやばいなという焦りは知識ゼロの高校生の僕にもあったみたいです。

 

そこで、僕がとった行動はとにかく勉強!

高2の末に入っていたラグビー部を辞め、東大を目指してひたすら勉強です。

 

東大合格実績なんて片手で数えるほどしかないような学校でしたから、初めから学校には頼りませんでした。

 

赤本を買って問題集を買って、塾には行かずにほぼ完全に独学です。

 

結果は惨敗だったので何も言えませんが、今思えばあれは本当に正しかったのかと思うのです。

 

負け犬の遠吠えに聞こえますか?

 

いや、勉強することは否定していません。むしろ勉強すべきだと思っています。

 

しかし、将来が不安だから東大に行く、というのは疑問です。

 

他にも道はあったはずです。

 

あのときは東大を目指すこと以外考えられませんでしたし、間違った選択をしたとも思ってません。後悔はありません。

 

しかし、今の僕が当時の僕に会えるなら、他にもいろんな道はあるよと囁いていたと思います。

 

 

 

今の教育の問題点は、生徒の選択肢が少ないことだと思います。

 

高校の勉強なんて将来役に立たないと思っていました。

だからと言って、他に勉強するもののあてもありませんでした。

 

自分で意義を感じられないものを標準としている。それを教えている。これは大きな問題点だと思います。

 

生徒が自分の将来のためになると考えていることを自発的に選んで勉強する環境がスタンダードになるべきだと思っています。

 

そして、意義のあることを探す手伝いをする環境がもっとあって然るべきです。

 

逆説的ですが、教育の果たす役割は生徒に教えることではなく、生徒をサポートすることだと思います。

 

 

 

生徒が自分の生き方を本気で考える手伝いをする。

そんな社会を創りたいと強く思います。

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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それでも努力は報われると信じていますか?!

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

通学の電車で本を読んでますが、途中で眠くなっちゃっいます。

 

朝はもっと睡眠時間が欲しい!

そう思われる方も多いのではないでしょうか?

 

さて、眠い目をこすりながらの読書。

読んでても内容は頭に入ってきませんよね?

頑張って読んでみても頭に入らなければ無意味です。

 

子どもの頃はよく、努力は報われると言われてきました。

いや、高校生のときでさえもやればできるとか言われてきました。

  

でも、果たして本当に努力は報われるのでしょうか?

 

悲観的な人ならそんなはずはないと言いそうですね。楽観的な人なら、努力すら不要と言うでしょうか…(^^;;

 

何れにせよ、努力は必ずしも身を結ぶとは限らないようです。

何故でしょうか?

 

努力が報われない原因は大きくわけて3つあると思います。

 

  1. 努力が足りない
  2. 努力の仕方が適切でない
  3. そもそも才能がない

 

それぞれ補足説明していきますね〜

 

1.努力が足りない

頑張っているつもりでも、案外集中できていないことがあります。

テストで合格点を取ることを目標に頑張っていても、夜はテレビを見てしまう。

朝はゆっくり寝ている。電車に乗る時間は音楽を聴いている…

 

これらの時間は勉強にも使えるはずですね。

 

やっているときは必死にやっているので頑張っているように思えますが、やっていない時間が案外あるということです。

 

自分の普段の生活を見直してみたら意外な発見があるかもしれませんね。

 

 

 

2.努力の仕方が適切でない

これもテスト勉強を頑張っている場合を考えてみましょう。

例えば、英語の試験を乗り切るために単語をたくさん覚えたとします。

でも、テストが英文法に関するテストだったら、いくら単語を覚えてもいい点が取れるわけはないですよね。

 

報われるためには、報われるべき努力の仕方があるのです。

今頑張っていることが本当に望んでいることにつながっているか、ときどき考える時間が必要ですね。

 

 

 

3.そもそも才能がない

才能がない、と言うと少し酷な言い方かもしれませんが、人には向き不向きというものがあります。

暗記が苦手な人が必死に英単語を覚えても、暗記が得意な人にはなかなか勝てませんね。

 

まだ選択肢が残されている段階なら、今やっていることを諦めて、別の得意分野で戦うということも考えてみるといいかもしれません。

 

もしくは、その苦手分野を他の人に任せてしまうというのも手ですね。

学校のテストならそうはいきませんが、仕事をする場合は全てを自分でやる必要はないわけです。

 

人に頼みごとをする勇気があれば苦手分野は克服されたも同然かもしれません。

 

 

 

最後に

努力というものは根性論ではないと思います。

然るべき場所で、然るべきやり方で努力すれば、その努力は報われるでしょう。

ただただ努力というのではなく、その努力の中身について考えておいて損はないと思います。

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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「当たり前」に疑問を投げかけること

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

今日は雨が降っています。

皆さんは雨が降ったら傘をさしますか??

 

当然!と言う声が聞こえてきそうですね。

でも、すぐに止みそうな雨だったら?

もしくは小雨だったら?

すぐに目的地に着くときは?

 

僕は常に折りたたみの傘を持ち歩いていますが、かなり雨が降らないと傘をさしません。

別に濡れるのが好きなわけじゃなくて、傘を開いたり、濡れたら干したり、畳んだりするのが面倒だからです。

 

雨が降ったら傘をさす。

 

これは当たり前だと思われていますが、本当にそうでしょうか?

 

 

 

最近、哲学の本を読みました。

 

その本では「自分とは何か」「生きるとは何か」といった普段当然とされていることにツッコミを入れて深く考えていました。

 

哲学というものは何も堅苦しい学問ではなく、当たり前のことを当たり前とは考えないことじゃないかと思います。

 

 

 

さて、少し話が逸れましたが、雨が降ったら傘をさすということは当然のことでしょうか?

 

大抵の人は当然だと思うでしょう。

しかし、どうして雨が降ったら傘をさすんだろう?と当たり前のことに疑問を投げかけてみてください。

 

もしも、傘というものがない世界があったらどうでしょう?

 

雨が降ったら防水スプレーを全身に振りかける、というのはどうでしょう?

もしくは、静電気とかで自分の上に降ってきた雨を弾き返す装置ができたらどうでしょう?

 

もしもそんなものがあれば、傘を開いたり干したり畳んだりする手間がなくなりますよね!

そして、傘を持っている間は片手しか使えなかったのに、このような発明で両手が使えるようになるかもしれません。

 

僕は哲学は実学だと考えています。

 

人生とは何か、死ぬとはどういうことか。

そんなことを考えることだけが哲学じゃなくて、科学や歴史などの当然とされたことに疑問を持つということが哲学なのではないでしょうか?

 

もしそうだとしたら、哲学によって新しい発明品が生まれ、これまで信じ込まれてきた間違いが正されるとは思いませんか?

 

 

 

当たり前っていうものはこれまで生きてきた人によって作られてきたものです。

当たり前ですが、神様が作ったわけじゃありません。当然、間違いもあります。

 

この、当然とされているものを無意識に信じ込むのではなく、意識できるか。

これが実は頭の良さであったり、センスであったり、才能と呼ばれるものであったりするのかもしれませんね。

 

あなたが信じ込んでいる「当たり前」は何ですか?

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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amazarashiのオススメ曲5選!

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

今日はいつもとテイストを変えて、僕がいつも元気をおすそ分けしてもらっているamazarashiのオススメ曲をお届けします( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ ) 

 

5選とは言っていますが、選ぶのに骨が折れました。ほんとは全部同率1位にしたいくらいですが…

 

いや、本当に全部1位にします!(^^;;

 

 

 

そもそもamazarashiってみなさん知ってますか?

そんなに有名というほどではありませんので一応紹介しておきますね。

 

とはいうものの、僕もあまり詳しくないので気になる人はグーグル先生に聞いてください(´>∀<`)ゝ

 

なんか青森出身のロックグループらしいです笑

 

amazarashiの魅力は、痺れる声と病的に美しい世界観!

 

世界観が独特すぎて万人受けはしなさそうなので、今回は比較的わかりやすい曲も選んでいます!

 

これを機会に興味を持ってくれたら嬉しいです(๐›ω‹๐)੭

 

それでは行ってみよ〜٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

1.つじつま合わせに生まれた僕ら

 

そういえば僕らって何のために生まれてきて、何のために生きているんだろう?

そんな哲学的なことを考えてしまう一曲です。

 

一言で言うと神曲です。

 

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2.光、再考

 

日常の中でいろんなことを思い、いろんな情景を経験し、なんとなく陰鬱な気分になるけれども、それでも何か明るい希望の光が見える。

そんな曲です。

 

一言で言うと神曲です。

 

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3.虚無病

 

人間なんて所詮無力だ。どーせ何もできない。そんな虚無に憑かれて、それでも生きている…

病的な歌詞ですが、それでも前向きな姿勢を唄おうとしている気がします。

 

一言で言うと神曲です。

 

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4.ナモナキヒト

 

何者にもなれなくて苦しみながらも踠いている。そんな僕らのがむしゃらな生き様を、讃えあいながら生きていこう。この曲を聴いていると元気が出てきます。

 

一言で言うと神曲です。

 

 

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5.ヒガシズム

 

上野 秋葉原 東京… 初めて聴いた時は意味不明でしたが、最近ようやく何となくわかってきました。毎日毎日陽が沈む頃に終わり=死を感じてしまう。その中で生きている実感を感じたい…

そんな感じじゃないでしょうか?

 

一言で言うと神曲です。

 

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言いたいことは、全部神曲なので聴いてほしい!

それだけです笑

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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お互い気持ちよく殴り合うために…

どーも!ちゃありぃです(^^)

 

ご飯食べてぼーっとしてたらもう22時過ぎてる(´⊙ω⊙`)!

時間って無為に過ごしてると一瞬でなくなっちゃいますね。焦ります(^^;;

 

春休みが終わり、1週間の授業が終わってやっと訪れた1回目の土曜日。なんとかレポートはやりましたが、やる気が出ない症候群です(´>∀<`)ゝ

 

ブログ更新すら危うかったです。危ない、危ない…

 

自分のツイッターの呟きを遡っていると見つけてしまいました…

たまにいるんですよね。フォロー外からファボ押してくる人。

 

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僕は万人受けしないようなツイートばかりしているので、ファボはほとんどされません。

だからこそ、ファボしてくれる人がいたら、その人はどんなところを気に入ったんだろう、どんな嗜好の人なんだろう、どんなことを考えてる人なんだろう、と気になってしまいます笑

 

 

どーでもいい質問かもしれないですが、もしあなたがツイッターをやっていたら、アカウントは公開していますか?鍵をかけていますか?

 

もしくはFacebookなら、公開範囲は全体にしていますか?友達のみにしていますか?

 

 

 

僕はSNSによって使用目的が違うので、ツイッターは公開、Facebookは友達のみにしています。

そして、このブログは当然誰でも見ようと思えば見れますね。

 

公開する基準をどこに置くのか、これについて僕はある考えを持っています。

 

つまり、お互いに気持ちよく殴りあえるかどうかです。

 

殴り合うというのはケンカするわけじゃなくて、投稿した内容について誰かと意見を言い合うということです。

そして、僕はその議論する相手を選びます。

 

殴り合いの相手になるか否かは同じリングに立っているか否かで決まります。

お互いにある程度知り合った仲だと、気持ちよく語り合えます。

 

逆に、SNSを非公開にしていてその人についてよく知ることができない人からコメントがきても軽くあしらうしかできません。

 

ツイッターを公開しているのは、たかだか140字で言えることを批判されたところで、言いたいことを言い切れていないし、誤解も多いだろうから言いたい奴には言わせておけ、という考えです。

ちゃんと理解されていないから、何を言われても痛くないということです。

 

逆にFacebookを非公開にしているのは、Facebookはかなりの文字数を投稿できるSNSなので、かなり自分の核心に近い考えを投稿できます。そこにあまり知らない人から横槍を入れられたくないということからです。

 

何か意見を言いたいなら、自分のことをオープンにしてからにしてほしいですね。

 

 

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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