夢に憧れた日々の回顧録
どーも!ちゃありぃです(^^)
やりたいことが多いとやりきれなくて苦労しますね…
本を読みながら別の本のことを考えていたり、友達と遊びながら別の友達と遊ぶことを考えていたり…
いろんな本を読みたいし、いろんな人と遊びたいです。でも同時にはできません…
贅沢な葛藤ですね(⌒-⌒; )
ところで皆さんはやりたいことってありますか?
そりゃあ当然あるでしょうが、将来の夢は何かと聞くと案外答えにくいってこと、ありますよね?
将来やりたいことは何だろう?
僕も長く悩んでいた問題です。
今回は「将来やりたいこと」について話していきますね!
ポイントは「将来」です。
例えばですけど、小学生の時にものすごく教え方がうまくて話も面白い先生に出会ったとします。
そして、僕もその先生みたいになりたい!って思ったとしますね。
別に学校の先生じゃなくても、野球選手のかっこいいプレーを見て野球選手になりたいと思う人でもいいです。
これって、本当に先生とか野球選手とかになりたいって言えるのでしょうか?
僕は「やりたい」という言葉と「憧れる」という言葉とを明確に区別しています。
「やりたい」は心の底から思うこと。
「憧れる」は自分よりすごいものを見て、ある種の尊敬を覚えること。
ほとんど同じようなものだとは思いますが、これを混同していたら将来の夢はなかなか見えてこないと思います。
「やりたい」が内面の動きなのに対して、「憧れる」は外部要因です。
外にあるものを見て、それに動かされるのが憧れだというわけです。
普段の生活ならこれらを混同していても大して問題にはなりません。
例えば遊園地に行って、ジェットコースターを見てかっこいいと思い、乗ってみたいという感情に任せて乗ること。
別に悪いことなんて1つもありません。
ただ、これが生涯取り組むことになる仕事もの話となると別です。
なぜなら憧れはいづれ冷めるからです。
心の底から、本当にやりたいと思って始めたことならなかなか辞めたいと思うことはないでしょう。
しかし、憧れをもってスタートしたことは自分が憧れの対象と同レベルまで達してしまうと、それ以上続けるためのモチベーションがなくなります。
商社や金融など、誰もが憧れふような業種でも実際にやってみるとそれ以上やりたいとは思わないわけです。
なぜなら自分が憧れの対象と同じ段階に達してしまい、憧れが冷めたから。
本当にその業界についてよく知り、それでもやりたいと思えるならやればいいです。
しかし、表面上だけを見て、直感的になんとなくやりたい…というような場合は本当にやりたいのかと自問自答してみてください。
やりたいことが見つからないと言う人はたくさんいると思います。
そんな人でも普段の生活の中でやりたいことはたくさんあるはずです。
その1つ1つを深く観察することで、生涯に渡って取り組みたいことは見えてくるはずです。
表面だけで判断せずに、ちゃんとよく向き合って考えましょうと言う話でした(^^)
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
いつか安定した生活を送りたいという願い
どーも!ちゃありぃです(^^)
スーツに身を包んだフレッシュな若者をよく見かけるようになりました。世間はすっかり就活モードですね〜(^^)
安定した職に就きたいという願いを持つ就活生も多いのではないでしょうか?
一生安定した給料をもらって、借金などすることもなく、死にたくなるようなピンチもなく、リタイア後は年金でのほほんと過ごす…
でもホリエモンさんも言っていますが、このような安定神話はもう消え去ったようです。
そもそも安定とは、安く定まること。
僕の人生そんな安いもんじゃない!と声をあげたのはそんなに昔の話ではありませんでした。
激動じゃない時代なんて未だかつてなかったとは思いますが、この激動の時代の中で安定というものは激動した末にやっと得られるものだと思っています。
AIの発展により、多くの仕事が姿を消すことになると言われています。
そんな時代で果たして安定なんてあるのでしょうか?
僕は思います。
激動の時代に合わせて自分も激動していれば、安定ではなくて高定(高く定まること)はできるのではないかと…
多分、時間のある大学生がやるべきことは暇を持て余して遊ぶことではなくて、自分を高めることです。
僕は就活をしていないので何も偉そうに言える立場ではありませんが、就活は就職のためにするものではなくて、自分を高めるためにするものです。
自分の能力を高めたら、当然会社側も採用したいと思いますよね?
そして、もし就職=自分を高めることだとすると、就活は就活生だけがするものじゃないのではないでしょうか?
大学に入った瞬間から、いや、大学生ではなくても自分を高めることは将来の高定のために必要なことです。
AIに仕事を奪われることに恐怖するくらいなら、AIに負けないような努力をするべきです。
就職できるかどうかで悩むくらいなら、逆にオファーされるくらい能力を磨くべきです。
安定なんてあり得ない。
だからこそ人生は楽しいと思えるチャンスが至る所にあるのです。
人生を楽しむ。
そのために自分を磨く。
能力がなくても仕事がある時代は終わりました。
これは自分を高めて最高の人生を手に入れるためのチャンスだと思うのです。
ビジネス本を読み漁るもいいでしょう。大学の勉強を深めるのもいいでしょう。胡散臭いセミナーに行ってみるのもいいでしょう。海外に行ってみるのもいいでしょう。ヒッチハイクをするのもいいでしょう。
こんなチャンスの時代に生まれてよかったと心から思えるように、明日からも自分磨きを頑張る次第であります。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
成功ノウハウ教えます(笑)
どーも!ちゃありぃです(^^)
前回は成功の定義の記事でした。
じゃあ、成功するためには具体的に何をどうすればいいのでしょうか?
成功したいけど、どうしたら成功できるのかわからない…そんな人も多いはずですね。
今回は僕なりに成功するためのステップを説明していきます(^^)
1.成功を定義する
一口に成功と言ってもいろんな成功があります。
自分にとって何が成功なのか、まずはこれを考えてください。
大企業に就職するのが成功かもしれません。月収100万円を達成したら成功かもしれません。経営者になるのが成功かもしれません。
ただ、それを人と比べて◯◯さん以上の収入を得る…などとすると辛いですね。
自分の中で絶対的に評価できることを成功だと位置付けましょう!
これを決めずに成功だけを追っていても、目的がないので何をしているのかわからなくなってきます。ただがむしゃらに頑張るだけでは成功など不可能です。
2.定義した成功を達成するための行動を決める
成功を定義したら、それを達成するためのプランを立てます。
別に紙に正確にプランを書き出す必要はありませんが、どんな行動をするべきかを考えて実行します。
例えば月収100万円を成功だと定義するならば、収入を得るために株を始めるべきかもしれないですし、ブログを始めるべきかもしれません。
大学の医学部に入って医者になることも1つの方法かもしれません。
いつまでに達成するか、その期限までに達成するために何をいつやるのか、それを決めたらあとは行動あるのみですね!
3.行動を見直す
実際に行動してみてうまくいかない場合も当然ありますよね!うまくいったときでも反省してみたらもっとよくする方法が見つかるかもしれません。
成功するまでPDCAサイクルを回して行動をよりよくしていきましょう!
成功のステップについて書いてきました。
当然といえば当然のようなことですが、やはりこれも意識することによって効率が上がります。
そして大切なのは成功するまでやり続けること!
成功するまでやめなければ絶対に成功します!(当然ですが…)
どんなにうまくいかなくても計画、行動、評価、改善を繰り返すことでいつかうまくいきます。
成功を信じてやり抜きましょう!!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
成功とは何か 経営者のあれこれ
どーも!ちゃありぃです(^^)
カンボジアに行ってからやく1年が経ちました。もう1年も経つのか〜と思っている今日この頃です。
なぜカンボジアに行ったかというと、スタディーツアーというものに参加したからです。
カンボジアスタディーツアー
現地でお店を経営している経営者の方々に会いに行ったり、孤児院に行ったり、日本語学校に行ったり、有名なアンコールワットを見に行ったり、ぶっ飛んだ課題にチャレンジしたり…
寝る時間もほとんどないようなドMな内容でした(^_^;)
そのツアーから1年…
今でも印象に残っているのが、たくさんの経営者に会う中で、彼らは本当に成功しているのか、と思ったということ。
いや、本当に経営者なのか?と疑ったという意味ではなくて、経営者=成功者なのかと疑ったのです。
成功って何でしょうか?
高架線の下で新聞紙をかぶって眠っている老人は失敗した人でしょうか?
歴史の教科書に載るような偉業を成し遂げた人物は成功者でしょうか?
ふと思いました。
ホームレスの人でも幸せを感じていたら成功なのでは?…と。
まず、成功というものは他の人より優れたことをすることだと言うような捉え方が窺えますがそうではないと思います。
僕の成功の定義はこうです。
「自分で立てた目標を達成して満足している状態のこと」
つまり、たとえホームレスになったとしても、それが世の中のしがらみから解放されて生きたいという目的の上でそうなったのなら成功だということです。
ヒッチハイクをして誰かに乗せてもらうと思っていたら、誰かが乗せてくれたら成功です。
成功というものは人と比べて得られるものではないわけですね!
だから、カンボジアという日本とは全く違った地で奮闘する経営者もそこを目指して経営者になったのなら成功。本当は総理大臣になりたかったのにしょうがなく経営者になったのなら失敗といった感じでしょうか…
成功したいから成功者に会いに行く。この思考は多分妥当なものでしょう。成功者に会って成功の秘訣とか、成功するための姿勢の話とかを聞きたいと思って会いに行くのでしょう。
しかし、一般に成功者だと言われる人でも成功者だとは限りません。
いくら巨万の富を築いたとて、望んだ結果を得られていないなら成功ではないからです。
だから、そもそも成功者に会いに行く、ということは不可能なわけで、会いに行ったら成功者だった、という方が自然なんですね。
肩書きや見かけの大きさに惑わされず、自分なりの成功の定義を持って行動することこそが、一番の成功への近道なのだと思います。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
抽象と具体
どーも!ちゃありぃです(^^)
よく僕のツイートが「抽象的すぎてわからない…(^◇^;)」と言われることがあります。
初見は意味不明なツイートですが、基本的には何かの出来事とか思ったこととかについて呟いてますよ!
カッコつけて病的なほど詩的に書いてるだけです笑
例えばこれ!
憧れは目覚まし時計の騒音と共に薄暗い部屋に置いてきた。もうあの部屋に戻ることはないから…
— ちゃありぃ (@my_charlie_red2) 2017年3月9日
ぱっと見たら意味不明ですが、解釈してみるとこんな感じになります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何かに憧れてそれになりたいと思ったら、ずっとそれに憧れ続けるのではなくて、それになるための努力をするのがいい。
このことはいい一日のスタートは目覚まし時計で始まるが、その目覚まし時計が必要なのは朝だけで、ずっと目覚まし時計を持ち歩く必要はないことと同じ。
目標に向かって動き始めたらもう憧れなんて持つ必要はない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何でもそうですが、具体的すぎても冗長になってダメだし、抽象的すぎても意味がわからなくてダメですね。
話が長い人は概して結局何が言いたいのかわからなくなりやすいですし、話が短い人はそこに至った経緯や理由がわかりません。
本を読んでいても、筆者の体験した具体的な出来事ばかり書かれていてもつまらないです。その出来事からどんなことがわかるのか。つまり、抽象的な話も必要なんです。
抽象と具体はお互い欠点を補完し合う関係にあります。
「具体」は「抽象」の捉えにくい部分を補い、「抽象」は「具体」の冗長になりすぎるところを補います。
人は、頭の中で自然とこの抽象と具体の変換をします。
遊園地に遊びにいったら、その遊園地について「広かった」とか「人が多かった」とか「楽しかった」とかいった言葉で表します。
これは具体から抽象への変換ですね。
これは自分で記憶するのにも人に話すにも必要なことです。
人に話したり文章にしたりするときには逆に頭の中で思っている「広かった」「人が多かった」「楽しかった」という抽象的な言葉をできるだけ具体的にします。
「広かった」を「一周歩くのに2時間もかかるくらいの広さ」という風に言うわけですね。
このような抽象と具体の変換は頭の容量を節約する上でかなり役立ちます。
いろんな出来事をいちいち覚えておくのではなくて、例えば諺なんかにして覚えておくといろんなことに使えますからね。
「嘘は泥棒の始まり」という諺を覚えておくとわざわざ「父親に嘘をついてはいけない」「友達に嘘をついてはいけない」といった個別の状況をいちいち全部覚える必要がなくなります。
当然のことですが、これを意識して、例えば本を読むときなんかに使ってみると案外すんなり理解できたりもします。
高校生なら英語や国語のテストで役立ちますね!
抽象と具体。簡単なようですが、意識的に使ってみるとかなり便利です。
ぜひ自分なりにアレンジして使って見てください(°´ ˘ `°)/
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
タバコとテレビと思考力と
どーも!ちゃありぃです(^^)
最近電子タバコというものが流行りですね〜。
IQOS(アイコス)という電子タバコなんてどこに行っても売り切れで、転売ヤーの間では超ホットな商品のひとつでした。ヤフオクとか見たらすごいことになってましたよ笑
そんな僕はタバコなんて吸いませんし、吸う気もありません。
コンビニのバイトを始めていろんなタバコの銘柄を知りました。
アメスピ、ラーク、セブンスター、ラッキーストライク、JPS、マルボロ、パーラメント、ホワイトウェスト、、、
本当に色々ありますよね!覚えるの大変です(^^;;
タバコなんてなくなればいいとよく思います。
と、いうのもタバコは吸わなくても副流煙のせいで病気になることがあるし、そもそも臭い…
近くでタバコを吸ってる人がいたら思わず息を止めてしまいます( ´•௰•`)
まぁ煙草がなくなったらタバコ農家の人達を始め、いろんな人に悪影響が出るだろうから一概にないほうがいいとは言えないんですが…
ところで、知ってますか?
タバコの副流煙の影響はかなり大きくて、主流煙より副流煙の方が数十倍ニコチンとかタールとかが出てるらしいです。ヤバイですね(^^;;
でも、この数十倍っていう数値はどこから出てきたものなのでしょうか?
中学校の保健の授業ではただこの数十倍という数値だけ覚えさせられましたが、この数値はどうやって計測してるんでしょうか?
単純に火をつける側と口をつける側との煙を集めて成分を調べただけなのか…?
それともある条件下、例えば副流煙は喫煙者から1mくらいのところでの影響を考えているのか…?
そもそもタバコのタール数や銘柄によってこの数十倍という数字は変わってくるはず…
この数十倍という数字は平均的なものなのか、最大値なのか…?
世の中には人を動かすためにの巧みな情報操作がたくさんあります。
このタバコの例だったら計測の仕方などによって数値をできるだけ大きく出して、タバコを吸う人を減らそうとしているのかもしれません。
嘘ではないにしても、大切なところが隠されていたりします。
計測の仕方ひとつとっても、単純に火をつける側と吸い口側との煙を集めて成分を調べただけだとしたら、そんな状況は実際には起こりませんよね?
ポッキーゲームならぬタバコゲームじゃあるまいし…
ちょっと、ヤバイものを想像してしまいました…(⌒-⌒; )
それはさておき、情報操作っていうのは僕らが触れるあらゆる情報に対して行われていると思います。
特にテレビ。
僕はテレビなんてもう何年も見ていませんが、テレビはそもそも見てもらうための番組ばかりやっています。誰も見なかったら成り立たないからです。
そして、たくさんの人に見てもらうための工夫がされています。
考えなくてもただぼーっと眺めているだけである程度の情報が得られるように、大切な部分までは放送されていないことが多いです。
例えば、いつかご飯を食べに入った店のテレビで
「多くの東大生が子どもの頃やっていたスポーツは何か??」
みたいな番組がやっていました。
東大生はかなりの確率で水泳をやっていたことがあるらしいですが、そこから水泳をすると頭が良くなる…みたいな展開になっていて頭の中がはてなになりました。
確かに「水泳をすると頭が良くなる」という情報は子どもを持つ親からすれば興味のある内容で、そういった人たちはこの番組を見るでしょう。
しかし、大切な情報、つまり東大以外の大学の人が水泳をやっていたかどうか、とか、水泳と頭の良さの因果関係はあるのか、とか、そういった情報が抜け落ちているわけです。
膨大な量の情報が溢れかえる時代、大切なのは如何に優れた情報を得るか、よりも得た情報に対して疑いをかけることなのかもしれません。
思考力を鍛えていきましょう!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!
回って倒れて転がって
どーも!ちゃありぃです(^^)
教養をつけようと思って読み始めた「市民のための世界史」を読み終わりました٩(๑^o^๑)۶
この本は大阪大学の歴史の授業で使われている教科書みたいです。阪大生の知り合いに頼んで譲ってもらいました。
今まで歴史は苦手科目であんまり頭に入ってなかったこともあって、読みきるまでに2週間以上かかっちゃいました(^^;;
ずっと読もうと思ってた本、ちょっと時間のある今やっと読み始めることができた。心底今の教育制度は無意味なことが多いと思う。意味あることは自分で取りに行くしかない。歴史は暗記科目ではない。
— ちゃありぃ (@my_charlie_red2) 2017年2月26日
ちなみに僕が言う最強の文系っていうのは知識としての文系じゃない。詳しくはそのうちブログにて。 pic.twitter.com/VcBfk9oEa7
せっかく最後まで読みきったので、今回はこの本から学んだことをシェアしたいと思います(^^)
そもそもこの本は大学で教科書として使われているだけのことはあって、高校までの歴史の教科書とは味が違います。
どう違うのかというと、高校までの歴史みたいな暗記するべきことは書かれていません。
年号とか、人物名とか、そういったものをただただ暗記させるためだけの本ではありません。
代わりにある出来事の背景だとか、全体的な流れだとかを俯瞰的に理解できるようになっています。
そもそも僕が中学生のときに歴史が苦手かつ嫌いになったのは、歴史という科目がただ教科書に書いてある4桁の数字と人物名という文字の羅列を詰め込むだけのもので、面白みが感じられなかったから。
そんなものを覚えて何の役に立つんだと思ってました。
それよりは理科や英語の方がよっぽど実用的だと思っていて、得意科目は理科と英語でした。
役に立つから面白い。面白いから得意。という思考回路でしたね。
そしてその思考回路に沿わない歴史という科目はテストの時だけ覚えて、テストが終わったら忘れるという繰り返しでした。
それで7〜8割くらいは得点できていたので、学校の勉強はほとんど無意味に思えてきますね…
おっと、話が逸れてしまいました。
この大学の歴史の教科書から学んだことをとりあえず3つ綴っていきますね!
1.過去は全て現在と繋がっている
当然といえば当然ですが、歴史というのは本の中だけの物語ではなく、現実に起きたこと。そして、歴史があったからこそ今のこの世界があるということ。
20世紀の終わりに生まれた僕にとって、第二次世界大戦だとか、フランス革命だとか、アヘン戦争だとか、かつてそういった出来事が実際に起きたということには全く実感が伴いません。
多分それはどれだけ歴史を研究したとしても、真に実感することはできないでしょう。
しかし、俯瞰的に歴史上の出来事を見て、その背景に流れる原因や考え方を拾っていくと、確かに現代につながるものがあるなと感じるのです。
この本を読んで歴史というものがちょっとだけ身近なものに思えてきました。
2.永遠なんてありえない
20年そこそこしか生きていない僕にとって、今あるこの世界は当たり前のものです。
お腹が空いたら何か好きなものを食べることができて、海外旅行に行こうと思えば飛行機に乗ればすぐに行けて、友達に会いたくなったらラインをする。
日本という国は民主主義の国で、選挙というものは男も女も平等に権利を持っていて、誰もが決められた年齢になると学校に行く。
それは当然だと思ってました。
でも、歴史を見ると当然が当然のようになくなります。
この本の最初の方に登場した中央ユーラシアの騎馬遊牧民族。「こいつら最強かよ!このままいけばそのうち全世界征服するな!」なんて思っていたら、数ページ後にはソグド商人ってやつらの話になってました。
イギリスがアメリカとかインドとかアフリカとか、いろんなところに植民地を持っていて、産業革命まで起こして「イギリス最強かよ!このままいけばそのうち世界中植民地だな!」なんて思ってたら、数ページ後には世界大戦が起こっていました。
そして思いました。
今どんなにすごくてもいつかは弱ってきて廃れるんだなぁ、と。永遠なんて存在しないんだなぁ、と。
3.同じものでも見方によっては全然違う
これについては特に第二次世界大戦の下りで思いました。
日本は戦争中の自国の行為について、戦後まもない頃は自虐的な解釈をしていました。しかしその後、自由主義史観という見方が生まれて戦争に対する日本の主張が変わりました。
これと同じことがいろんな場面で言えると思います。
テストで70点を取ったとして、「70点も取れた!」と思うのか「70点しか取れなかった…」と思うのか。
同じ70点でも見方によって意味が違うわけですね。
多分、歴史が好きだという人はいろんな考え方に対して寛容になれるのではないでしょうか?
ある出来事に対して自分とは違う考え方を持った人のことを、自分とは違うと非難せずに「そういう考え方もあるよね」と言える。
歴史って面白い!
中学や高校で習う歴史は面白くないけど、それが歴史の全てじゃない!
そう思わせてくれる一冊でした(^^)
歴史なんて面白くないと思っていた理系の大学生でも最後まで読めました。
歴史なんて役に立たないと思っていたけど、役立ちそうなことがたくさん学べました。
これからもどんどん教養をつけていきたいと思います٩(ˊᗜˋ*)و
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました!